早いもので、今日で葉月、8月は終わりだ。
葉月はその名のとおり、木々や草花の葉は生い茂り、太陽の恵みを謳歌する。
しかし、これは旧暦の呼び名だから、
新暦に直すとちょうど今頃から10月中ごろまでの期間だった。
実は葉が生い茂るのではなく、葉が落ち始める、
つまり落葉がはじまる季節という意味の葉月だったらしい。
どおりで、既に植物によっては葉の一部が緑から黄緑に変わっているものもあり、
会館南側の緑のカーテンのホップも黄色い葉がポツポツ出始めている。
ホップだけでなく、商工会自体も年度初めからもう5カ月経過したことになる。
今年の8月は、7月から続いた猛暑で、前半異常に暑かった。
お盆の頃に一息ついて、次々と襲来した台風の影響もあってか、
お盆の後急に秋めいてきたと思ったら、
台風が去ったら暑さがぶり返した感じだった。
8月は、一店逸品事業の最盛期。参加店の募集と写真撮影、原稿の提出などが重なって、
担当者は息をつかない忙しさだが、他の事業はいつも仕込をしている時期で、
ふれあい祭りや逸品フェアなど秋から冬に向けた事業の準備の季節だ。
8月は業務も、お盆がちょうど真ん中に入るため、
よく「盆前までに」
とか「お盆後に」とか、お盆を区切りにすることが多い。
ふれあい祭りの出展者もお盆前に募集を開始し、
お盆後に出展場所を決める説明会を開いた。
昨年から町に出展用テントを増やしていただき、
ほぼ出展者の希望に沿ったテントが振り分けられた。
葉月に神無月のふれあい祭りの好天を願うのは、
いくらなんでも気が早すぎるが、
来場者、出展者はもとよりスタッフのためにも秋晴れを願うしかない。
第100回という記念すべき夏の高校野球が幕を閉じた。
春夏連覇を目指す強豪校に東北の県立の農業高校が挑むという決勝戦は、
その対決の構図だけでも全国の注目を集めた。
そんな夏の高校野球が開催されている最中に、
NHKがある野球部を追ったドキュメンタリーを放映した。
高校野球の中継でNHKの視聴率は高かったはずだから、観た方も多いと思う。
見逃した方のために敢えて紹介すると、
主人公は佐世保にある九州文化学園高校野球部。
長崎では強豪校のひとつだが、その野球部のベンチ入り選手を決めるのが、
何と部員全員による「総選挙」だという。
通常の試合は監督が出場選手を決めるが、
甲子園のかかった夏の県大会だけは、部員の選挙で出場選手を決めているという。
看護科のある選手は、3年生になって実習が増え、
練習に参加できる日が限られてきて、試合となると焦って結果が出ていなかった。
チームメイトの「力むな。結果を出そうとするな。」
というアドバイスで我に返って長打が出るようになったが、
結局レギュラーには選ばれなかった。
2年生までだったかエースだった3年生は、
キャッチャーから転向し、急激に力を付けてきた同級生を見て、
結局エースナンバーの投票には立候補せず、ライトの9番の背番号に立候補した。
結局その選択で夏の県大会は1試合4安打と結果を出した。
高校生にチームメイトを選ばせることに賛否両論はあると思うが、
監督の言う「プレーの巧拙だけでなく人格も含めて評価」させる経験は、
選ぶ側にも大きなプレッシャーとなる。
監督の考えている「高校野球」を選手も理解していることを伺わせる
素晴らしい番組だった。
人を評価することは難しい。数字だけでは簡単だが、人格もとなると自分自身も試される。
商工会の人事評価にも通じるものがある番組だったように思う。
昨日8月28日は、七十二候のひとつ天地始粛だった。
「てんちはじめてさむし」と読む。
秋雨前線が天気図に現れ、涼やかな風とともに秋を運んで来る頃らしい。
そういえば朝晩めっきり涼しくなった。
もうエアコンなしでも眠れる。
むしろ窓を開けていると、明け方には冷気がスゥッーと入り込んできて、
タオルケットだけでは寒いくらいだ。
窓を開けているから冷気と一緒に外の音も一緒に入ってくる。
幹線道路が近いわけではないが、まだバイク族が夏を惜しむように爆音を響かせている。
エアコン使用時にはさほど気にならない犬の鳴き声もやけに大きい。
地上に出ると薄明の蝉の鳴き声が聞こえなくなり、たまには救急車のピーポーピーポーが
近づくのか遠ざかるのか気になる。
盆地の最高気温は30℃を超える日もあるが、
最低気温は20℃を下回る日もある。
これから本格的な秋に向けて、寒暖の差がだんだん激しくなる。
そうなると着る物に迷うことがある。
日中は半袖でいいが、夜は上着が必要なほど涼しくなる。
外出時間が長くなりそうなときは要注意だ。
秋風が吹きだすと秋祭りの準備が始まる。
奇しくも今日29日は「昭和町ふるさとふれあい祭りの出展者説明会」が
会館2階で開かれる。
毎年50店近くが出展し、祭りを盛り上げる。
開かれるのは10月7日だが、秋雨前線が心配だ。
10年位前には、強風でテントが飛ばされそうになったこともある。
祭りに限らず、屋外イベントは天候次第だ。
少し早いが、ふれあい祭りの日には秋雨前線が後退し、
絶好のイベント日和になることを祈りたい。
印刷会社を経営する会員が「チラシや折り込みが減って」と嘆いていたのはもう随分前のことだ。
確かに、昔はポストに新聞を取りに行って、
つい手が滑るとドサッと重い広告の束が地面に落ちた覚えがある。
しかし、最近は新聞が薄くなった。
新聞というより広告の折り込まれた新聞に厚みがなくなり、
広告はほとんど入っていない。
考えてみると、昔は広告を見て店に行き、広告の品を買い求めた。
今は、そんな習慣が減った。
ネット販売やネットオークションなど、購買チャネルが多様化したことも原因だが、
モノ自体があふれ、消費者のニーズも多様化して、
「広告の品」で消費者を釣るような販売方法の効果が薄れたのではないか。
もちろん、広告に一定の効果はあるはずだ。
しかし、「広告の品」に魅力を感じる消費者が、昔に比べて減ったのではないか。
もうひとつ考えられるのは、新聞購読者の減少だ。
昭和町の世帯数は8,700ほど。
そのうち新聞購読世帯は、約6割の5,200世帯にとどまっているらしい。
つまり、新聞折込をしても約4割の手元には届かないという計算になる。
最近はパソコンやスマホで情報を取る傾向が強い。
緊急地震速報は言うに及ばず、豪雨予報など情報が早い。
翌日の新聞で改めて見るニュースもないこいはないが、
例えば夏の甲子園の高校野球などは、前日既に話題の中心となっており、
翌日の新聞を見てからでは既に古い情報となっていることが多い。
したがって、スマホ世代の若い人を中心に、
新聞は不要と思われて購読されないのではないか。
そうなると、チラシなどの折込の効果も限定的になる。
当会では、町と中央市の行政、商工会と共同で、今年も10月から創業塾を開催する。
その募集に折込チラシを入れる予定だが、その効果に少し懸念もある。
もちろん折込以外の周知方法もあるから、折込の効果が限定的なのは承知だが、
時代の変化と言えばそれまでだが、少し残念な気もする。
ここのところ弁護士への法律相談が増えている。
取引全般がアメリカナイズされてきて、これまで信頼関係に基づく口約束だったものが、
契約書を交わす形態になりつつある。
昔、ある大型店にテナント入居した外国企業が、数十ページの契約書を日本から送ったら、
数百ページになって送り返してきたという話を聞いたことがある。
契約で曖昧さを排除し、明確にすることはいいことのように思えるが、
文書に明文化されたことを逆手にとった悪質な契約も出てきている。
一般的に小規模事業者は契約がニガ手だ。
詐欺まがいの契約も散見される。
一旦ハンコを付いてしまうと、もう後戻りはできない。
相手はハンコを付かせることが目的で、それまでは都合の悪いことは決して言わない。
つまり、契約すればどんなにメリットが多いかを強調し、
万が一成果や効果がない場合でも、契約に基づく支払を淡々と請求する。
一番危ないのは、
「あの会社も契約しましたよ」と
こちらの知っている会社や競争相手の名前を挙げるケース。
しかし、裏を取る時間的余裕を与えられないから、
それがホントかどうか確かめようがない。
そこで「あそこが契約したのなら」とついハンコを押して後の祭りとなる。
昔、ある飲食店が大手サイトと契約する際、電話があって伺ったことがある。
確かにネット販売は魅力で、そのサイトも日本を代表するような大手だった。
契約の営業に来たのは、そのサイトの下請け会社の担当者だったが、
お店に伺って、一カ月の販売個数と利益、宅配の手間などを店主に説明して、
「儲けにならないし、5年も続けるのは大変だ」と説得したら、
契約先の担当者が「もうハンコを頂きました」と笑顔で契約書を見せた。一足遅かった。
その契約には中途解約条項はなく、契約期間が終了するまで、
その店が毎月無駄な支出を強いられ、それが5年も続いたことは言うまでもない。
契約をする前に、いやハンコを押す前に、もう一度考えてもらいたい。
そして、ハンコを押す前に商工会に連絡がほしい。
昨日8月23日からは二十四節気の処暑に入った。
「朝夕には涼しい風が吹き、虫の声が聞こえる頃」といわれているが、
そんな穏やかな天気は全く感じられない。
次から次へと襲来する台風の影響なのか、前線が日本列島に掛かり続け、
四国、九州と東北は激しい豪雨と雷雨に見舞われた。
甲府盆地も例外ではなく、13日は激しい雷雨で、迎え火も車庫の中でたく始末だった。
処暑の虫の声は草むらのスズムシやコオロギのことを指しているのだろうが、
どっこい、今鳴いているのは庭の木に取りついているアブラゼミやヒグラシで、
「ミーン、ミーン」と暑さを煽っているような耳障りな声だ。
処暑の処は「止まる」という意味があり、文字通り暑さが和らぐ頃を指す。
お盆の時期に吹く風が「盆東風(ぼんごち)」と呼ばれるのに対し、
処暑の頃に吹く涼しい風は「送南風(おくれまぜ)」と呼ばれ、
夏の終わりを告げるように吹く南風のことを言うらしい。
関東では処暑の行事は馴染みがないが、
関西、特に大阪や京都では、「地蔵盆」と呼ばれるお祭りが町内ごとに行われるらしい。
子どもたちの無事な成長を祈って、
子どもを守る仏様であるお地蔵様に感謝して行われるという。
冒頭「処暑に入った」と書いたが、二十四節気は、その日を指すだけでなく、
その日が始まりの期間を言う場合もある。
その考え方だと、9月7日の白露までが処暑ということになり、
9月になれば「大分涼しくなるだろう」と、
エアコンに扇風機の二重装備でパソコンに向かっている。
山口県周防大島町で行方不明になっていた2歳の男の子が無事に発見された。
見つけたのは、大分県からボランティアで捜索に来ていた78歳の男性だ。
その男性はボランティアの世界では「師匠」と呼ばれる有名な方で、
捜索開始からわずか20分で発見したという。
その男性はわざわざ捜索開始前に男の子の家族に会い、
「私が見つけてきて必ず手渡すから」
といい残して山に入って、わずか20分で男の子を見つけたという。
その推測が見事だった。
子供は下には降りない。上に登るものだと判断し、
迷わず山側の沢に入り、すぐに男の子を見つけたという。
それまで捜索してきた警察や消防などの関係者は立つ瀬がない感じだが、
その場所は既に捜索していて、その時には男の子はそこに居なかったのだろう。
しかし、これはあくまで想像だが、丸2日以上捜索して見つからないとなると、
捜索の範囲はさらに広がるから、限られた人手で探そうとすると、
既に探した場所はなかなか再捜索しづらい。
既に事故を視野に入れた捜索活動に移りつつあったとしても責めるわけにはいかない。
発見したボランティアの男性は、以前地元の大分県での幼い女の子の捜索にも参加し、
そのときの経験から男の子の居場所を推測したらしい。
しかも、必ず見つけて「自らの手で親に手渡す」という強い意思があって捜索したという。
しかもこれにはそれなりの理由があった。
これまでも東日本大震災のボランティアでは、被災地の南三陸町に延べ500日も入って、
人々が大切にしていた物を拾い集める「思い出探し隊」の隊長を務めた経歴を持つ。
東北の震災で「被災者の家族に思い出を届ける」という役割を担っていたことを考えると、
「この人ならばこそ」と思わせる納得の結末だった気がする。
今でも、月に数回は地元大分県の由布岳に、30kg余りの材料を担いで登り、
崩れかかった登山道の整備をしたり、案内板を設置したりしているという。
この人の筋金入りのボランティア精神には本当に頭が下がる。
終戦の日のうれしいニュースに、また今の日本に生まれてよかった気がした。
些細な行き違いがとんでもない方向に進んでしまうことは珍しいことではない。
そんなときにその発端となった行き違いのことを
「ボタンの掛け違い」と表現することがある。
先日、ある話を聞きながら、すぐにこのことわざを思い出した。
シャツに袖を通したが、慌てていて第2ボタンを第3ボタンの穴に通してしまう。
そんなことは年に何回かある。
出勤前に時計をチラチラ見ながら急いでシャツを着ようとして、
自分でボタンの穴を間違えた「セルフ』の掛け違いでは、
また外して何事もなかったかのように掛け直せば済む。
しかし、それが他人との間の掛け違いだとたら、「覆水盆に返らず」のような事態になる。
聞いた話の内容は支障があるので詳しく書けないが、
「まあ、この方が簡単に済む」
といった安易な考えと対応が、相手の琴線に触れ、
結局本来の事柄がそもそもなくなってしまったという内容だった。
商工会の業務の中にも、デリケートな部分は随所にある。
9年前に事務所を改装したとき、相談室を2室設けたのも、
相談に来る会員事業所に配慮してのものだった。
こんなことがあった。
ある融資の相談を受けているとき、別の会員が来所した。
それまで普通に相談していた会員が急に声をひそめた。
訝しんでその会員の顔を見ると、顎で来所した会員の方を示した。
融資そのものより、経営状況が同業者には聞かれたくない内容だった。
そんなこともあって相談室を設け、相談もできるだけ詳細に受け、
また聴くように心掛けている。
極論なので断言するわけではないが、
行政は法律や条例に照らし合わせれば可否がはっきりする。
しかし、商工会バックには何もないから、
相談者との面談、ヒアリングでは、話の内容だけでなく、
その背景や裏にある事情に関して想像力を働かさなければならない。
「100まではないと思う」と言われると、一般的には80から90を想像するが、
普段1,000、2,000を扱っている会員には、20も80も余り変わりはない。
そこですかさず「50以上ありますか」と畳み掛けないと、
正確な数字には近づけず、ボタンの掛け違いを生む恐れがある。
お盆が過ぎ、気が付くと会館南側の田んぼの稲が穂を付けている。
まだ僅かだか水が残る田んぼから、真っ直ぐ空に向かって青い穂が伸びている。
稲全体ももう1m前後まで伸びており、後は穂が実るのを待つばかりだ。
あと1カ月もしないうちに、県内でも稲刈りが始まる。
現在は、こしひかり、農林48号、ひとめぼれなど米の種類も増え、
それぞれ品種のよって収穫時期が異なるから、
一概に田植えが早かったから稲刈りも早いとは言えない。
特に昭和町では兼業農家が多いため、勤めが休みの土日に稲刈りをする農家が多いようだ。
そんな稲刈りのタイミングは、いくつかの目安がある。
・出穂してから40日
・出穂してからの積算温度が1,000℃
・籾全体の80〜90%が黄色くなる
などだが、温暖化の影響で、積算温度の目安だと籾の黄化が早くなる傾向で、
農協では、「籾黄化80%で刈り取るのがベスト」と指導しているようだ。
稲穂の実る様を人間の成長に擬えた、
よく知られた「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ということわざがある。
立派な人ほど謙虚だ、という意味だろうか。
社会的地位を得ても謙虚さを失わない人を指すときと、
逆説的に用いるときがある。
例えば「あの人はちっとも実っていないね」
のように、偉くなってさらに威張り散らす人に対しての比喩としても用いられる。
ただ、前者にも後者にも違った見方がないわけではない。
例えば、謙虚になって「実った」ように見えたのが、
実はそれまでの熱意が失われた結果だった場合。
いわゆる「一丁上がり」の状態だ。
後者は後者で、偉くなっても自分らしさを失わない熱意の持ち主という場合もある。
そんな比喩に使われる稲穂が伸び、少しずつ頭を垂れだすと、
心地よい秋風が盆地を撫ではじめる。
先週は通勤の時間帯に車がほとんど走っておらず、
道路は空き空きしていた。
いつも30分前後かかる通勤時間が約半分で、あっと言う間に事務所に着いた。
さすがはお盆だが、最近よく報道などで使われる
「不要不急の外出は控えて」いる状態がこれに近いのだろうなどと思いながら、
信号待ちもほとんどなく、スムーズに通勤できた。
あまりにスムーズに車が流れるため、
普段、渋滞や信号待ちで車が停まっている間にやっていることが
できないままの人が多かったのではないか。
通勤時には上りも下りも双方が渋滞して車が動かないため、
対向車のドライバーをよく観察できる。
というか、周りの景色は毎日の見慣れたものなので、
いきおい対向車とその車内に目が行く。
その車内の様子かおもしろい。
渋滞中に化粧をしている女性ドライバーは意外に多い。
それを見ながら、手が滑って口紅を塗り過ぎたり、
アイシャドーが左右非対称にならないのだろうかと、他人事ながら気になる。
もし、緊急事態で社外に出るときに、化粧が途中だった場合はどうするのだろう
などと余計な心配をしてしまう。
要らぬおせっかいには違いない。
対向車まで聞こえる音量で目を閉じて音楽を聴いている人や
喫煙者ドライバーは、ゆったりタバコを吸っている。
それを見ていると、渋滞中というのもある意味リラックスタイムではないかとも思う。
お盆は帰省とUターンのラッシュで高速道路はあちこち大渋滞だが、
リラックスタイムと思って運転していれば、さほど苦にはならない気もする。
お盆中に仕事で通勤するときは、さすがにリラックスタイムはないが、
毎日これ位の交通量なら通勤も楽なのに、とも思いながら、
いつもの脇道を通らず、空き空きした幹線道路をスイスイ通勤できた。
⇒ michi (04/25)