今後の経済の動向や政治の動き、株価の動向など、世の中では「読み」が重要な要素になっている。スポーツやセンター試験だって「読み」がないといい結果が得られない。
そんな大それた話ではないが、最近、商工会でその「読み」がはずれた事業があった。
当商工会では毎年1月に、理事会、新春経済講演会、商工業振興協議会、優良従業員表彰と、これらの懇親・祝賀のパーティーを開催している。実に5本立ての「豪華イベント」だ。
町長や町議会議長、県会議員、県連会長をはじめ、来賓にも臨席いただき、最後のパーティーは、その5本立ての締めくくりとして、毎年和気あいあいと和やかに開催される。
そのパーティーの料理の「読み」がいつも外れる。「ピッタリ」などということはあり得ないが、散会の時の料理が「ほどよく残ること」がほとんどない。いつも外れるのだ。特に今年は大外れ。料理は半分近くが余っていた。もちろん、寿司やそばのようにアッという間になくなるものもあれば、ほとんど減ったように見えない皿もある。
役員や商工振興委員など、出欠は全て事前に確認し、新春経済講演会のように、一般会員からも出欠をFAXしてもらって、それでも「飛び込み」の参加者も読んで料理を頼むのだが、余ることが多い。
料理自体が、必ずしも人数分の用意ではなく、単価×人数=総額で、その総額の中でメニューと数や量を用意することも、「読み」が外れる一因ではあるが、それにしても余ると「もったいない」気分を引きずる。
7、8年前に、今年のように料理が大量に余ったことがあった。そこで、翌年は参加予定数×70%で料理を頼んだ。ところが、その年は、どういうわけか中締めの予定時間の前に料理がなくなってしまい、慌てて予定より早く中締めをした。
もちろん、参加者が予定より多かったことが一番の原因で、「読みが外れた」ことはうれしい誤算だったが、お客さんに「料理がないよ」と言われた時の恥ずかしさは、今でも思い出すことがある。
商工会財政も厳しさを増してきており、経費節減が至上命令の折、ズラリと並んだ余った料理を見たとき、「読み」の甘さを痛感した。
来年は、「ちょうどよかった」と言われるよう、いろんな要素を盛り込み、「読み」に万全を期したい。
⇒ michi (04/25)